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日 本橋電気屋物語
第十四話 「山一無線」
2007.08.23
 創業者は小山一 郎、現経営者 小山芳幸の父なのです。大正10年生まれの一郎は岡山県の出身、学校を卒業後 大阪でラジオ関係の職場へ勤務したのです。先の大東亜戦争に 4年間従事、無事帰還の後 昭和22年に日本橋5丁目で創業したのです。弘和電機現米岡政廣社長の先代が弘電社を経営していて、彼を頼って電気屋を始めたのです。 始めはラジオの組立てと部品販売が主力だったのです。でも、日本橋5丁目に居たのは半年ほど、次の拠点が現在地だったのです。

店構え


ミ ニコンとポータブルオーディオ
携 帯電話


ミ ニコンとスピーカー
下 の方のスピーカーが売れたらどうするんでしょうねえ

 家電ブームが始まるとご多分に漏れず家電総合店として業容を広げて行ったので す。家電量販店が闊歩し出した頃からオーディオに主力を移し始めたのです。丁度、其の頃 芳幸は山一無線に入社するのです。当時の事を振り返って「そんな ん、中学生の頃には配達の助手とかでこき使われてましたわ。」と流暢な大阪弁で仰るので有ります。大型テレビが売れ出した頃で東芝に傾倒していた山一無線 はバズーカなんてテレビに力を入れて売っていたとか。ソニーにも強かったのでクロマトロンなんて名前も飛び出したのです。このクロマトロンなんですが、後 のスーパーヒット、トリニトロンの原型的なテレビなんですが、当たり外れが大きかったのです。ええ奴は当時としては抜群に綺麗だったのですが、故障も多 かったのです。


店の中から通りを見たところ
スピーカーとミニコン

 一 郎はゴルフが趣味で「日緑会」にも加盟、「シマムセン」の先代 堀野庄次郎、「テラシタデンキ」の先代、「山栄無線」の先代、「梅田無線」の先代 梅田福 二、「三協電機」の先代 武田喜輝等々と連れ立って良くゴルフをしていたとか。私も何度かご一緒させて頂いた事が有るのです。一郎が突然 心筋梗塞で他界 したのは平成9年の事、其の頃 芳幸は既に経営をまかされていたのです。芳幸は昭和24年丑年生まれなのです。三人の息子は既に独立、長男は28歳になる のです。長男は「難波元町小学校」の一期生なのです。「難波小学校」と「元町小学校」が合併して、安易な名前の「難波元町小学校」が出来上がったのです。 芳幸の住まいは「なんさん通り」を西へ、ガードを潜って元町ロータリーを超え、高島屋のタワーパーキングの辺りを北へ入った所なのです。三人の子供たちは 順にこの小学校へ通ったのです。一人目、二人目の時は良かったのですが、三人目の時に捕まってしまったのです。何に?って、悪名高いPTAに捕まったので す。順調に出世して目出度く平成7年度のPTA会長に就任したのです。勿論、出世なんてしたく無かったのは言うまでも無いのですけどね。気の良い芳幸には 断る事が出来なかったのです。合掌。


ビデオデッキ売り場
明るい笑顔の芳幸

大阪市浪速区難波中2-9-2
営業時間:10:30〜20:00
定休日:水曜日
電話番号:06-6641-8624



 このコーナー、今回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、週に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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