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日本橋電気屋物語
第十五話 「共電社
2007.08.28

 邨田増太郎は5人 の男の子に恵まれたのです。戦前は生野でふとん屋を営んでいたとか。戦後、三男の邨田正義、四男の邨田増夫を連れて日本橋に出て来たのです。長男、次男は 戦地に赴いていたのです。時は昭和23年、場所は現在の永和信用金庫本店の在る所だったのです。そして昭和25年1月に法人化、現在地に移転 邨田五兄弟 が揃い踏みしたのです。初代社長に大正7年生まれの長男 邨田一雄が就任したのです。其の後一雄は退社して昭和30年に卸屋を始めたのです。当初はオン キョーを取り扱い、後にNECを取り扱う「新日家電」を設立したのです。後任の共電社社長には大正13年生まれの正義が就任したのです。


堺筋を挟んだ向い側から見たとこ ろ
店頭にも高級感が漂う

 当初はご多分に漏れずラジオと其のパーツを商いの主力にしていたのです。大正 10年生まれ、次男の木田実も昭和33年に長男の事業を補佐する為退社、でも後に一雄、実とも複社するのです。昭和30年代には当時としては珍しいオー ディオ試聴室を持つのです。読売放送とか大阪有線とかが機器のテストに訪れる様になったのです。最盛期には7つの試聴室が有り、現在も3室が稼動していて オーディオファンが訪れるのです。其の頃より徐々にオーディオに主力を置くようになったのです。昭和49年、支店の「共電社 ビーバー」を開店、四男の大 正15年生まれ、邨田増夫が責任者に就任するも惜しまれつつ昭和56年に急逝してしまうのです。後任に木田実が就任したのです。「木田」は実の嫁(みのる のよめ)の実家の名前で、其れがが途絶えるのを偲びずに名前を実が継いだのです。昭和4年生まれ、五男の邨田幸男 はオーディオの担当として辣腕を振るったのです。



高級単品コンポがずらり
アンプとか色々

 本店の「共電社 パル」の一階売り場の白物家電を全て 「ビーバー」に移し、「パル」は全館をオーディオの専門店とするのです。其の後、もう一つの支店、別会社の「共電社 ピッコロ」も開店、3店体制となるの です。折からの家電ブームに乗って順調に業績を伸ばしたのです。近年になって一部業績が悪化しだした時も対応は早かったのです。平成14年3月に「ビー バー」「ピッコロ」を相次いで閉鎖、同年5月には一世の4兄弟ともが引退、二世に経営を委ねたのです。


スピーカーには力を入れてます
現在稼動している3つの試聴室の 一つ

 正義の娘婿 雄二が社長、実の長男 博が専務、増夫の長男  勝美と幸男の長男 正史が常務に就任し、経営を一新したのです。本店の売り場は一階から階段を半階分下りると地下売り場となり、半階分上がると中2階売 り場、また半階上がると2階売り場、順に中3階売り場、3階売り場、事務所となっている、一時流行った特異な構造になっているのです。メリットは自然にお 客様を上の階へと誘導できる事なのです。


地下に在るラック売り場
ヘッドホンも充実しています

 社長の雄二は和歌山県新宮市の出身、当初 東京の三井物産 電機販売に勤務、自動車機器の担当をしていたのです。正義の妻の出身地は三重県熊野市、彼女の弟と雄二の父が友人と言う事でトントン拍子に話が進み雄二は 正義の娘 真寿美と結婚し、昭和52年頃共電社に入社したのです。専務の博は卒業後3年間サラリーマンをして昭和50年に入社し、52年には結婚、二人の 男の子の父となるのです。もう結構な年なのに車が好きで「シャコタン」に乗ってるのです。四人の従兄弟が力を併せ、共電社は今後も高級オーディオ路線を直 走るのです。日本橋には高級オーディオ店が今も数多く有り、其の中でも共電社は一方の雄なので有ります。


社長の律儀な邨田雄二
車好き専務の木田博

共電社
大阪市浪速区日本橋5-8-25
営業時間:10:30〜19:00
定休日:水曜日と第3木曜日
電話番号:06-6631-3851



 このコーナー、今回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、週に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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