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日 本橋電気屋物語
第 十六話 「つたや」
2007.09.5

 社長の田中一輔は昭和16年、奈良県桜井市の生 まれなのです。父親は元々公務員だったのですが、戦後仲間三人と「大和木工」という材木商を営むのです。当時としては最新鋭の大型製材機を米国より輸入、 其れなりの商いとなっていたのですが、其処を辞め、独立して旅館を営むのです。其れには訳が有るのです。戦後間も無くの事、現在の町名は日本橋5-20- 23、 当時は東関谷町2-15と呼ばれていた所で、後に一輔の義母となる方が食堂を営んでいたのです。一輔の父と義母は昭和29年頃に結婚し、其れを機に食堂を 止め、二人で旅館業を営む事としたのです。当時、久保田鉄鋼の関係者が地方より大阪に出張すると「旅館 つたや」に頻繁に宿泊してくれたのです。今流に言 えば「ビジネ スホテル」だったのです。其の旅館の屋号を電気屋になった今も使っているのです。


入口には大きな看板が有ります
つたやビルの一階です

 一方、一輔は学校を卒業すると、当時「五階」の中に在った 「小沢」に勤めた のです。呉服屋「大福屋」の隣に在ったのです。「小沢」は古物商で一輔が勤めた頃には既に数人の社員が居り、全国の業者相手に手広く商いをしていたので す。其処での一輔の仕事は仕入れと卸売りの見習いから始め、一人前の商売人へと育って行くのです。「小沢」には8年居たのです。


小物
蛍光灯の管球

 そして忘れ もしない昭和 45年5月1日に旅館の一角で独立して商いを始めたのです。始めは電気屋と言うより衣料品と雑貨が主力だったのです。オープンした5月はご祝儀も手伝って 145万円の売上が有ったのです。其れが6月には74万円になり、7月には35万円に激減してしまったのです。でも、7月に初めて洗濯機が売れたのです。 殆ど利益は無かったのですが、其のお客さんがリピーターとなり洗濯機を初め電化製品を注文してくれる様になり、口コミで全国より「つたや」に注文が入る様 になって来たのです。卸が小売よりやや多いと言う業務形態だったのです。数を売れば仕入価格が安くなり、利益が出ないと思っていたのが利益が出る様になっ て来たのです。元々勤勉で商売が好きな一輔の「つたや」は順調に成長して行くのです。2年ほどで旅館は開店休業、電気屋「つたや」が目出度く取って代わっ たのです。


立派なビルです
日本橋CGアニメ村が入居してい ます

 昭 和53年には木造だった社屋を5階建てのビルへと建て替えたのです。昭和58年には念願の表通り日本橋5-13-4に1,2階が売り場の「浪漫電化つた や」をオープンするのです。昭和61年には日本橋5-12-3に3店目となる「ゆとりっく」をオープンするのですが、誠に残念ながら思惑が外れ1年半で閉 店し たのですけどね。市営住宅の立替で旧本社が立ち退きになり、平成9年に現在地に本社を移転したのです。平成16年9月には「浪漫電化」を閉店、本社のみで の営業 となるのです。現在は本社ビル1,2階での営業で、3,4,5階を「日本橋まちづくり振興梶vが運営する「日本橋CGアニメ村」に賃借しているのです。現 在は「でんでんタウン協栄会」の副会長・総務委員長の重責を担っているのです。今、今後 の戦略を練っている最中なので有ります。


忙しそうに電話で話す一輔
社長の一輔は笑顔が売り






今は閉店中の浪漫電化つたや

つたや
大阪市浪速区日本橋西2-5-15
営業時間:9:00〜18:00
定休日:日祝日
電話番号:06-6634-0001



 このコーナー、今回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、週に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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