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日 本橋電気屋物語
第 十七話 「永和電機」
2007.10.12

 現在の社長、 昭和37年2月生まれの福島久史は二代目、会長に退いている阿倍野で育った久史の実父、昭和6年9月生まれの喜久夫が創業者なのです。喜久夫はニッコー電 機、先代社長(創業者)家永弘が大阪市生野区鶴橋北之町において開業した電化の店の時代から関わっていたのです。其の後、 昭和28年11月に日本橋筋3丁目25番地に移転、社名をニッコー無線とした時にも改めて勤務したのです。ニッコー無線もジャンク品からスタートしたので すが、次第にオートメパーツを主力とする様になるのです。昭和40年に社名を現在の「ニッコー電機」と改めたのです。


表から見たところです
店内の様子、接客しているのが社 長

 喜久夫は元々電気の事が大好きだったのです。趣味からのスタートと言っても良いのです。昭和 42年に独立して現在地に店舗を構えるのですが、始めはやっぱりジャンク品が大半を占めたのです。世の中の変化と共に扱い品もオートメパーツが徐々に増え て行くのです。 現在の主取引先には松下電工、オムロンが有るのです。


マイクロスイッチの見本
棚には沢山のストックが

 喜久夫曰く「時代の波に 付いて行かれへんようになったから息子に社長を譲ったんですわ。」と仰るのですが、今年既に76歳になったとは思えないほど若々しく、お話になる事も熱っ ぽいのです。久史が社長に就任したのは昨年の6月、順調に業績を伸ばしているのです。久史は桃山大学経済学部の出身、学校を卒業してから暫くはタイヤを販 売する会社に勤務していたのです。ところが喜久夫が体調を崩したのです。久史は高校時代より単車が趣味でマメタンから始まり「ななはん」まで高じたのです が父親思いの優しい性格、タイヤ販売に未練を残しながら永和電機に入社したのは久史が24歳の時なのです。


パーツが所狭しと並べて有ります
各種テスター

 まあ、入社してからも単車の趣味は続 くのですが、河内長野でモトクロスに興じていた時、事故に会い、首の骨を折るという大怪我をし、5ヶ月の間入院生活を余儀なくされるのです。結婚は遅く 35歳の時なのです。惚れ抜いてあの手この手で口説き落とした妻典子との間に小学3年と幼稚園年長の娘二人を授かったのです。


ハンダこても有ります
笑顔が可愛い二代目の福島久史社 長

 3年前にニッコー電機がオートメパー ツの小売を止めて其の顧客を永和電機が引き継いだのです。同じくオートメパーツの商社「大電社」も小売を止め永和電機に後事を委ねたのです。喜久夫は顧客 からの色々な相談事に乗り、挙句は工場オートメ化の設計までしていたのですが、段々と忙しくなり設計まで手が回らなくなるのです。でも、喜久夫はそんな事 が大好きなのです。久史も世話好きで「日本橋ストリートフェスタ」に深く関わり、今年はついに「日本橋ストリートフェスタ運営委員長」を拝命、社業の傍ら 粉骨砕身ストリートフェスタの成功に努力を重ねているので有ります。


進駐軍の払い下げの古い真空管を 見せて貰いました
懐かしいマツダの真空管を持つ、 初代社長福島喜久夫

永和電機
大阪市浪速区日本橋5-11-6
営業時間:月〜金9:00〜18:00
営業時間:土曜日9:00〜15:00
定休日:日祝日
電話番号:06-6633-2626
FAX:06-6643-1532



 このコーナー、一ヶ月余りも間が空き、心配していたのですが、何とか第十七話を掲載出来たのです。今回だけで終わるか も知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、週に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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