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日本橋電気屋物語
第十八話 「弘和電気」
2010.03.07

 この店の前身は「弘電社」なのです。場所は南海難波駅の直ぐ側、なんさん通りを日本橋から西へ行ってガードの手前を右へ曲がって20メートルほど行った 西側なのです。丁度、3月2日にオープンした「高島屋イースト館」の道を隔てた南隣なのです。角店でなんばシティーの出入口側にはタバコと清涼飲料水の自動販売機がずらっと並んでいたのです。まあ、今では此れも撤去し、シャッターをもう一枚作って店内に自動販売器を並べているのです。たばこも200種類余り有り、対面での販売もしているのです。人通りも多いし、この自動販売器君達、社長の政廣より良く働くのです。

3月2日にオープンした高島屋イースト館の南側なのです 左に飲料、右にタバコの自動販売器が有ります

創業者は現米岡政廣社長の明治39年生まれの父上なのです。明治44年生まれの 母上と一緒に、今の阪神高速えびす町入口の直ぐ北、堺筋の東側に開店したのが最初だったのです。元々、放送局に勤めていた父は技術者だったのです。当初はラジオを組立て販売 していたとか、オープンしたのは戦前のお話なのです。この阪神高速なんですが、昔(私の知ってる程度の昔なんですけどね)はどぶ川で其の上に道路を作った のです。古いお話ですわ。


この自動販売器達が良く働くのです シャッターが二重に有るのです

戦火で焼け出されたのですが、直ぐに美章園でニクロム線を巻く仕事を始めたのです。でも、やっぱり好きな日本橋へ帰って来たのが現在地、昭和21年の事なのです。始めは真空管やらパーツ、其れに相変わらずのラジオなんかの販売をしていたのです。昭和33年に父上が亡くなってからは政廣が社長に就任したのです。其の頃は現天皇陛下の御成婚で家電業界も潤った時期なのです。加えて35年の所得倍増計画とかで益々良かったのですが、昭和40年に「弘電社」は倒産するのです。まあ、政廣の丼勘定が遠因になったのかも知れないのです。しかし、人柄の良い政廣を応援する人も居り、翌年の1月には現在の「弘和電気」として再開したのです。

電球類も主力の一つなのです 近頃は量販が売るLED電球に押されぎみだとか

其の後は家電総合店として順調に推移するのです。現在は嫁と息子の三人で切り盛りしているのです。店の主力は管球を主体とした配線器具等と、息子がする電気工事なのです。政廣は工事は出来ないのです。でも、代わりにゴルフは出来るのです。其の昔はシ ングルを張っていた事も有るのです。兎も角ドライバーの飛距離は凄かったのです。まあ、近年は体力が弱って来ているのですが、本人は未だ未だ距離に未練が有るのです。毎週の様に嫁と二人で「春日台」へ行ってるのです。政廣は「日小会」と言うゴルフコンペの会長もしているのです。この会、日本橋小学校に所縁の有る連中20名ほどが集まるのです。まあ、私もメンバーなのですけどね。でも、最近は休会状態なんです。まあ高齢化も影響しているのかも知れないのです。

シェーバーなのです 配線器具なんかも有るのです

そうそう、社長のお母様がお元気で、先日 お店に寄せて頂いた際にも店頭に お座りになって、古いお話を聞かせて頂いたのです。今でも時折は近所の喫茶店に行きタバコの煙を楽しみながらコーヒーを飲むとか。99歳なのです。

電熱関係も 社長の米岡政廣

弘和電気
大阪市浪速区難波中2-9-1
営業時間:10:00〜19:00
定休日:水曜日
電話番号:06-6632-0483
FAX:06-6632-0483

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 このコーナー、今回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、二ヶ月にに一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。
澤 田沢治
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