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日本橋電気屋物語
2010.04.09

第十九話 「シマムセン」

1922年(大正11年)3月3日堀野庄次郎は堀野嘉一の次男として広島県で出生し、東京の電気専門学校を卒業したのです。戦時中は中支に派遣されたが「芸は身を助ける」というか電気通信の技術職をしており前線には出ずにすんだのです。庄次郎は、戦後まもなく北区芝田町にてジャンク品の商売を始めたが、「電気の商売をするなら、日本橋にいかなあかん・・・」と思い現在の地日本橋4−8−11に昭和241月に店舗を構えたのです。


創業期のシマ無線
平野にあった堀野電気産業
広島から父嘉一を呼び寄せ その年の4月 社長嘉一 専務庄次郎として 広島の島をとって『株式会社 島無線電気商会』を設立したのです。当初はラジオパーツ真空管の販売をしたのです。

庄次郎は昭和23年に博子 昭和25年に裕一郎 昭和29年に昌志 と3人の子供に恵まれました。
昭和30年にはテレビキットの販売を開始するとともに、テレビブ-ムに乗り、部品の販売から家庭電気全般の小売業に変更したのです。昭和34年の皇太子御成婚の年には 白黒テレビが飛ぶように売れたのです。


当初のメンバーと嘉一、庄次郎です
CYMAラジオ(現在CYMAに飾っています)と CYMAテレビ
『これはいけるぞ・・・』と思い、堀野電気産業を設立し平野に工場を建設し、テレビの完成品の製造をはじめました。社員は広島電気通信専門学校卒業生をメインとし工場内に寮を作り、最盛期には社員50人で月産1000台の白黒テレビ『シーマーテレビ』を生産したのです。 しかし大手家電メ--の 大量生産 コストダウンに勝てず 会社を縮小し平野から現在のホリノビルに生産拠点を移し、わずか年で堀野電気産業を解散したのです。


1階のオーディオフロアー
2階の試聴室

昭和42
年に家電販売からオーディオ専門店へと業態変更したのです。アルプス電気の子会社アルプスモトローラ(現在のアルパイン)でカーステレオの設計をしていた裕一郎は52年12月に退社し 東京秋葉原でトリオ (現在のケンウッド)で営業をしていた昌志は昭和54年に退社して ともにシマムセンに入社 磐石の体制となったのです。 昭和60年5月にはシマムセンビル新築工事、昭和61年12月にはホリノビル増改築、矢継ぎ早に店舗のリニューアル工事を行った。
 平成6年9月1日に裕一郎が社長、昌志が専務に就任したのです。その半年後安心したのか、庄次郎は肺炎で入院1週間というスピードで他界したのです。


3階の試聴室
CYMAのハイエンドシアタールーム 150インチです

裕一郎は平成16年1月本格的なホームシアターを体験できる場所を作ろうと思い立ったのです。

商品を売るのではなく、空間や、感動を体感して頂いてホームシアターを販売するお店を作ろうと思い、名古屋、東京のお店を勉強し、店名は迷うことなく昔使っていたブランドCYMAに決定、平成16年7月にホームシアターデザインショップ『CYMA』が設立されたのです。


店頭の様子です
マニアックな計り売りのオーオーディオケーブル類

そして昨年(2009年)創業60周年を迎えることができたのです。感謝



専務の昌志は日本橋オーディオ店会の会長です。
社長の裕一郎はでんでんタウン協栄会の宣伝販促委員長

シマムセン
大阪市浪速区日本橋4-8-11
営業時間:10:30〜19:30
定休日:木曜日
電話番号:06-6632-2851
CYMA
大阪市浪速区日本橋4-5-20
営業時間:13:00〜19:30
定休日:木曜日
電話番号:06-6647-3651



 このコーナー、今回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp までメール下さい。一応、二ヶ月に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
今回は社長の裕一郎が自ら執筆しました。
澤田沢治
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