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日 本橋電気屋物語
第七話 「正公無線商会
2007.07.14

 創業者の妹尾政義が京都から現在地に出て来たのは昭和23年の事なのです。長男の昌彦が京都で生まれた翌年の事なのです。現在地で始めたのは和菓子屋。 百貨店にも納入していて職人が何人も居り、結構繁盛していたのです。昭和30年代に入って日本橋に電気屋が増え始め、店の一角を店子に貸したのが後に電気 屋を始めるきっかけになったのです。和菓子屋時代は繁忙期は猫の手も借りたいくらい、子供たちは小学校の頃から懸命に働かされたとか、と本人たちは言って るのです。




南西からSEMビルを見る

セイコー無線への入口は2箇所有 る
 
  政義は和菓子職人やったんでっか?と聞く と、「ちゃうねん。職人や無いねん。そやから職人を雇って、自分は営業に徹していたんや。ほてな、接待 で毎晩毎晩遅くまで飲み歩いていたんや。まあ、勿論 本人も好きやったんやけどな。」其の時分のゴルフ仲間に「テラシタデンキ」の先代や「三協電機」の武 田さんが居たのです。飲み仲間には他に「瀬川電機」の瀬川さんなんかも居たのです。武田さんは酒は駄目だったのです。でも、甘いものには目が無かったので す。聞くところによると「愛染橋病院」に糖尿病で入院していた時、こっそり抜け出して大福餅を食ったとか、まあ昔の人は滅茶をやったのです。


テナントビルへの入口

セイコー無線の南入口

昭和36年に 和菓子屋に見切りを付け、真空管屋を店子と共同経営の形でスタートしたのです。元々政義の兄が京都で和菓子屋を営んでいて、其処からの独立らしいのです。 昭和24年生まれの次男の晴夫、昭和27年生まれの三男の雅生に聞くとそんな話なのです。ほたら、代々の和菓子屋やったんでっか?と尋ねると、「いや、何 でも先祖は四国の高松で建具屋をしていたらしいねん。」と答えが返って来たのです。まあ、色々有るのです。




地下売り場へ下りる階段

地下には高級ミキサーが有る

  其の後、共同経営を解消し、真空管からト ランジ スタへの移行期に、充分にトランジスタへ移れなかったとか。其処で放送設備、拡声器、ケーブル類、アンテナ関係の機器へと特化して行き、現在の形態へと変 わって行っ たのです。丁度、バブルが弾ける(バブルの終焉は平成3年2月頃が定説で、平成元年の大納会をピークに株価は下落の一途を辿り、平成2年の10月には一時 株価は2万円を切るまでに暴落したのです。)少し前に木造を鉄筋6階建てのテナントビルに立て替えたのです。一年半の歳月を掛けて平成2年にビルは完成し たのです。




地下売り場のPA用スピーカー

一階売り場のマイク

昌彦、晴夫、雅生の 三人の上に姉が居てるのですが、この男兄弟三人が力を併せたからこそ今日の隆盛を得てるのです。毛利元就の三本の矢の喩えも 有るのです。余談ですが、この兄弟、下の二人はゴルフの腕はシングルなのです。前に町内会の旅行でハワイへ行った時、他の者は貸しクラブなんですが雅生は 日本からバッグを持って行ったのです。意気込みが違うのです。親譲りで三人とも酒は好きなのです。でも、晴夫曰く「親父が毎晩、毎晩午前様やったから、 俺たちは反面教師で真面目やねん。嫁に辛い思いはさせへんねん。」まあ、私と同じ思いなのです。



自動販売機も自動で稼いでくれる

社長の妹尾昌彦はゴルフは普通




専務の妹尾晴夫はゴルフが上手い

常務の妹尾雅生もゴルフが上手い


正公無線商会
大阪市浪速区日本橋4-9-13
営業時間:9:30〜18:30
定休日:無休
電話番号:06-6633-6660



 このコーナー、七回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、周に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(文中敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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