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日本橋電気屋物語
第九話 「キクエデンキ」
2007.07.21

 大正6年生まれの 先代、菊江幸治郎は元々奈良の生まれ、其れが大阪へ出て来て洋服屋を始めたのは日本橋5丁目でだったのです。昭和22年の事だったのですが、初めは単身赴 任だったのです。昭和24年に現在の場所、日本橋4丁目へと洋服屋を移したのです。当時、日本橋には結構洋服屋が多かったのです。田中屋、朝日山、マルシ ン、丸徳、瀬川等々私が知ってるだけでも結構有るのです。幸治郎の得意先に松下電器産業の連中が居て、昭和30年を過ぎた頃に盛んに、日本橋に居るねん やったら洋服屋なんか止めて電気屋やったらええのに、と勧められたのです。其れが電気屋を始める切っ掛けになったのです。昭和25年生まれ、三人姉妹の一 人、次女の菊江チカが有る日小学校から帰って来ると、店に並んでいた洋服類が突然無くなっていたのです。2,3日其のままだったのですが、此れまた突然電 気製品が店に並んでいたのです。洋服屋から電気屋への華麗なる変身だったのです。


キクエデンキの入口です

痔にはホット便座が一番

 何でも置いたら売れる時代、しかも松下電器とは懇意、商売は順調に推移したの です。大正13年生まれ、幸治郎の嫁の千鶴子も電気屋を手伝ったのです。昭和22年生まれ、現社長の菊江幸司とチカの出会いは、チカが当麻(奈良県)での 成人式の帰りに寄った親戚の家に幸司が居たのです。チカの籍は何故か当麻に有ったのです。二人は一寸した親戚、でも 出会って意識したのは其の時が始めて だったのです。二人の清い交際は2年続き、昭和47年に天王寺で無事結婚式を挙げたのです。幸治郎は昭和60年に社長を幸司に譲るのですが、同じように良 く働いたのです。其の幸治郎は平成8年に突然倒れ帰らぬ人となってしまったのです。そして電気屋の衰退を見越した幸司は表を貸して裏で電気屋を続けると言 う道を選んだのです。先見の明が有ったのです。現在、表はホビーランドぽち日本橋4号店 に貸しているのです。


配線器具が並んでます

シェーバーの替え刃です

 幸司は元々恰幅が良くスポーツマンなのです。20年ほど前にはソフトボールを 私等も一緒にしていて、私は補欠だったのですが彼はレギュラーのキャッチャー。早朝リーグと言って、朝6時10分試合開始なのです。体力の有る幸司はパ ワーも有り長距離砲と呼ばれていたのです。でも、プレイボールが掛かった時、ホームベース上に倒れてる男が居たのです。わが軍のキャッチャー幸司其の人 だったのです。足がつったのだそうです。そんな事も有ったのです。でも、日本橋小学校PTAソフトボール部の監督も努めたのです。弱小チームだったのです が、尾崎電業の尾崎薫が監督の時、一回戦で敗退、其の涙を見て皆が奮起、かね一機工の中山孝司が監督の時、浪速区の大会で優勝、続いてメジャーの故林武司 が監督の時にも優勝、二連覇を果たしたのです。続いて小林一機械工具の小林博が監督の時には補欠だった私も出場、足を引っ張って優勝出来なかったのです が、幸司が監督の時に再び優勝し、見事リベンジしたので有ります。


奥様のチカ、お母様の介護もして います

社長の菊江幸司は人気者
キクエデンキ
大阪市浪速区日本橋4-12-16
営業時間:9:30〜18:30
定休日:金曜日
電話番号:06-6641-5191



 このコーナー、九回だけで終わるかも知れないのですけど、まあ 何処か掲載をご希望のお方はsawada@osk.3web.ne.jp ま でメール下さい。一応、週に一度の連載を予定しているのですが、予定はあくまでも予定なんです。(敬称略、失礼な言い方有り、ごめんなさい。)
澤 田沢治
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